<前へ>
母に連れられ、引っ越しを重ねるうちに優理も薫も手続きが面倒だからと学校に行くことさえ禁じられていた。そしてその都度父親も変わっていった。それでも小学校に憧れはあり、優理は薫を連れて校門の近くまで行き出てくる子供たちと会話する想像をした。校門から出てきた少女達はみすぼらしい恰好のふたりには気づかず、笑いながら去っていく。どの子供も当たり前に与えられる筈の環境に自分と薫はなぜ入ることが許されないのか。優理はいつも通り、ため息をついてその場から離れた。
優理は油断すると出てきそうになる涙を堪え、薫の手を握りながら思い出の星ヶ丘神社を目指し桜坂を登る。坂の途中で、麗史の言葉を思い出した。
『ここの神様にお願いすると、いつか願いを叶えてくれるって言われているの』
『神様に?』
『そうよ。優理ちゃんも薫くんも優しい子だから、きっと神様もお願いを聞いてくれるわ』
麗史の優しく美しい顔が、脳裏に浮かぶ。
「薫、何をお願いしてきたの?」
帰り道、空腹を紛らわせるように会話を投げかけた優理に薫はたどたどしく答える。
「またれいみおねえちゃんと会いたい。……あと、友達が欲しいって言った。学校に一緒に行くんだ。ぼくそれが夢だから」
「いいお願いね」
「お姉ちゃんは?」
わくわくした顔で問いかける薫に、優理はふっと笑みを浮かべる。
「ナイショ」
「えー!ずるいよぼくは教えたのに~!」
本当は、と優理は思う。私も友達が欲しい。そしてれいみお姉ちゃんを安心させてまた一緒に三人で笑い合いたい。そのためにも、今は薫を守っていかなくっちゃ。そう自分を奮い立たせ、優理は拳をぎゅっと握り締めた。
しかし、そんなささやかな夢は無残にも打ち砕かれてしまう。
その日は連日続く熱帯夜の影響でべたつくようなじっとりとした暑さだった。優理は台所でひっそりとコップに水を入れ飲み干した。すると、今まで自分がいた子供部屋からダン!という大きな物音がする。嫌な予感がして部屋に急いで戻ると、髪を掴まれ父親に怒鳴られている薫がいた。
「ったく、うるせぇんだよ毎日毎日!大人しく黙って言う事聞いてろ!」
薫は泣き叫ぶとエスカレートすることを知っているので、無表情で目の端に涙を浮かべ我慢していた。優理はやめて、と叫ぼうとするも目の合った薫は首を振って制止した。優理は唇を噛みしめる。そう、耐えるしかない時間だった。父親は薫を床に転がすと薫に何度か蹴りを入れて、ドスドスと怒りの収まらない様子で部屋を出ていく。目の前を通り過ぎる父親を優理は息を殺してやりすごした。酒の臭いが立ち込める部屋に慌てて駆け込むと、薫を泣きながら助け起こした。
「かおるっ、大丈夫?!痛い?」
「お姉ちゃん……いたい、いたいよぉ……」
優理を見て安心したのか、涙を流して痛みを訴える薫に優理は胸が潰れる想いだった。薫が小学生になってから、暴行の頻度も行動も徐々にきつくなってきている。今日はもしかしたらここの所小声で麗史との思い出の歌を口ずさんでいたのがバレたのかもしれなかった。このままでは取り返しのつかないことになる、そう優理は感じ始めていた。
「薫……このままだと、私達だめになっちゃう」
「ぐすっ……う、うん……」
「逃げなきゃ、どこかに。どこか遠いところに。私達、生きてれいみお姉ちゃんとまた会わなきゃ」
「うん、うん……」
薫はぐしゃぐしゃに泣きながら優理の小さな声に何度も頷いていた。
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